スケートボードの歴史

スケートボードの歴史

by 小島 秀彌

紀元前から現在まで、
このページではスケートボードの歴史を詳しく見ていきましょう

紀元前80世紀

ピラミッド時代

エジプト人が坂道とコロを使用しピラミッドを建設した際に石に丸太のスケートボード
(滑る板・滑り摩擦を転がり摩擦へと変換した瞬間が全ての始まりだと考えられます。

アメリカでの主な動き

1950年代

スケートボードの誕生

玩具としてのスケートボード(現在の通称)が発売されます。

当時は木製デッキやソリッドデッキに鉄やクレイのウィールを使用した物
(例)ローラーダービー社『ローラーサーフィン』
主に公園や歩道などでスケーティングしていました。

スケートボード ローラーダービー
画像提供:Kino-SHOP/ROOMSERVICE
http://kino-shop.com/
1960年代

第1次スケートボードブーム到来

ダウンヒルフラットランドの大会が行われました。

この頃はまだ「サーフ・スケート」「サイド・ウォーク・サーフィン」「サイド・ウォーク・サーフボード」「スケート・サーフィン」「サーフ・ボーズ」等と呼ばれていました。

= ローラースケートから派生したサーフィン型の乗り物というイメージ

1965年

「LIFE」の表紙をパティ・マクギーの「スケートボード」(ハンドスタンド)が飾ります。

しかし当時は単調な動きしかできないため、やがてブームが去っていきます。

Patti McGee LIFE magazine in May 1965
1973年

ウィール革命

ウレタン製のウィールが開発され、軸受けベアリングを使ったスムーズな動きのスケートボードが主流となり、ダウンヒルやスラロームの大会が行われる

「オールドスクール」の創成期

この頃に「スケートボード」の呼び名が定着してきます。木製以外にも、樹脂やプラスチック製のスケートボードが流通していきます。

ベニスビーチ(カリフォルニア)で『Z Boys』が結成。

カルフォルニアの干ばつにより、水を抜いたプール(キドニー型)を利用しスケートをする様になっていきます。

トニー・アルバがプールで人類初のエアーを飛ぶことに成功(サーフィンを超えた瞬間です)

→第2次スケートボードブーム到来

LORDS OF DOGTOWN
出典:SONY PICTURES
http://www.sonypictures.com/movies/lordsofdogtown/
1977年 - 1979年

デッキ革命

カナディアンメイプルを使用したベニアを7枚重ねたデッキ(7プライ)が発売され、現代でも使われているスケートボードと同じ素材となる

7プライの普及によりデッキの曲げ加工が容易になり、キックテール以外にも横方向に湾曲を付けたコーンケーブが導入される

デッキ革命
左より:70年代ソリッドデッキ、77年Alva7ply、79年DOGTOWNのTRIPLANE(世界初のコンケーブデッキ)

第2次スケートボードブーム終焉

ブームが去りスケートパークが壊され、消えていきます。 しかしその頃、ジョージ・パウエルとステイシー・ペラルタがマネジメントする『Bones Brigade』という最強スケートボードチームがカリフォルニアで産声をあげます。
Bones Brigade
出典:Bones Brigade
https://bonesbrigade.com//
1980年代

トリックの開発とストリート時代

オーリーやフリップなどの「トリック(技)」をフリースタイルの神様ロドニー・ミューレンなどが開発していきます。 70年代終盤にスケートパークが消えたため、街中を滑る「ストリートシーン」が到来します。
1981年

『THRASHER』創刊(=「雑誌の時代」が始まる)

1984年

VHS時代の到来

『The Bones Brigade Video Show(ボーンズ・ブリゲイド・ビデオショー)』(パウエル・ペラルタ)

今まで静止画でしか見ることができなかったスケートボードを動画で見ることができるようになる!

出典:Youtube 「Powell Peralta Skateboard Videos – Bones Brigade Video Show Trailer」

1985年

映画『Back to the Future(バック・トゥ・ザ・フューチャー)』が放映される

→ 第3次スケートボードブーム到来

出典:BacktotheFuture.com
https://www.facebook.com/BacktotheFutureTrilogy/photos/
1987年

『The Search for Animal Chin(アニマル・チンを探して)』(パウエル・ペラルタ)

ストーリー性のあるスケートムービーが登場し「VHS時代」の全盛期となる。

出典:Youtube「Powell Peralta Skateboard Videos – The Search for Animal Chin Trailer」

1989年

ダブルテールと呼ばれる前後対象でノーズ/テールともコンケーブのあるシェイプが開発され、のちにPopsicle(アイスキャンディー型)と呼ばれる現代の主流のシェイプとなった。

Popsicle(アイスキャンディー型)と呼ばれる現代の主流のシェイプ

1990年代
情報収集中!

日本(横浜)での主な動き

1970年代

日本上陸

1970年代初頭。本格的に日本上陸(アキ秋山さんらが活躍)

  • 蓮沼(千葉)に「蓮沼海浜公園ローラースケート場」(1976年)
  • 渋谷(東京)に「カリフォルニアスケートパーク」(1978年)
  • 横浜(神奈川)に「ハマボール」屋上のスケートパーク
  • テレビ番組などにスケートボード少年が登場
  • 公共のプールを秋から春にかけてスケートパークとして利用していたところもある(横浜・反町プールなど)
カリフォルニアスケートパーク
出典:㈱オーシャンライフ社サーフィンワールド別冊1978WINTER Vol.1 No.2 Photo Yoshihisa Hatakeyama
ハマボールスケートパーク
出典:㈱オーシャンライフ社サーフィンワールド別冊 SKATEBOARD WORLD JAPAN1979 SPRING Vol.2 No.1
1975年

太東スケートボードセンター

太東(千葉)に「太東スケートボードセンター」オープン。世界初のスケートボード専用有料パーク(前年ニュージーランドで世界初の公共スケートパークがオープン)

1985年

ストリート・シーン全盛

  • 横浜駅西口でスケート大会開催
  • 山下公園(横浜)/太陽の広場(湘南)/代々木公園(東京)などにジャンプランプを自作して持込み、毎週たくさんのスケーターが集まる
  • スタイル重視
  • 誰も考えない技を作り上げる(完成したら作り上げると言う表現で「メイク」と言う言葉が使われ始める)
  • 板も進化をする過程で試行錯誤し、いろいろなシェイプが登場

1987年

ジャンプランプ・シーン

  • 第3次スケートボードブームが到来したにも関わらず、スケートパークはすでに閉鎖されていたため、自分たちで小さなジャンプランプを作り、公園や空き地などで新たな遊び方を開発

  • フラットランドでのジャンプ(オーリー;OLLIE)が普及し、トリックのバリエーションが増える(ストリートスケートの確立)

1990年代

カーブボックス・シーン

  • オーリーの普及によりジャンプランプが無くなり、カーブボックスにスケーターが集まる
  • トリック重視
  • オールマイティに滑れるなダブルキックのデッキが普及
  • ブカブカなスケーターファッション登場し、音楽界(HIPHOP)などにも影響を与える(通称:腰パン)

ストリート及びカーブボックスやレールなど、身近な物や自作可能なセクションを使ったスケートシーンになったことにより、スケートをする環境が世界中でフラットなものとなる。 技術の模倣が上手な日本人は一時的にアメリカに肉薄する。 しかし、公共パークなど環境の整備に力を入れたアメリカに、技術及び環境の面で再度突き放される。
1996年

メディアの確立

スケートボードのVHSが定期的に輸入され始める。
Warp Magazine Japan』創刊、『Ollie』創刊

90年代後期

インターネットの普及

2000年代

写メ時代の到来

  • デジタル化、メディア化(=カメラで撮って見せる、スタイルの均一化)
  • DVDでコマ送りでトリックを見ることができるようになる
  • 携帯電話で写真を撮り、インターネットで共有する時代となる
2001年

『Sb SkateboardJournal』創刊、『TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN』創刊、『THRASHER Japan』創刊

その頃アメリカでは、再びスケートパークの設備を充実させ、ブッチギリのスケート大国となる。

2000年代中盤

ネット時代

  • スマートフォンが普及し始め、YOUTUBEなどで、コマーシャル的なスケートボード動画が流れ始める

  • スケーターの署名活動等により、再び各地に公共のスケートパークが建設される

  • スクールなどが開催され始め、スケートボードを教わるという発想がうまれる

2015年9月

オリンピックの正式種目に

スケートボードが東京オリンピック(2020年)の種目に決定

そして、今

世界に後れを取っている日本の、特に横浜のスケート環境を改善するために、
NPO法人横浜スケートボード協会を立ち上げる。